自然農
- 自然農園ひよ里

- 3月20日
- 読了時間: 6分
最強の自給農——自然農という生き方
約5年前、私たちはひとつの選択をした。
耕さない。除草剤を撒かない。化学肥料を使わない。
それは農業の「常識」をひとつひとつ手放していく選択だった。
--自然農の5原則--
自然農園ひよ里が守っている理念は、シンプルに5つ。
**① 耕さない**
**② 草や虫を敵としない**
**③ 化学肥料や農薬を使わない**
**④ 土を裸にしない**
**⑤ 動物性有機肥料を使わない**
これだけ聞くと「何もしない農業」に聞こえるかもしれない。でも実際はその逆だ。自然の仕組みを深く理解して、その流れに「乗る」という、とても能動的な関わり方なのだ。
--草は敵じゃない、土を作る仲間だ--
土を耕さないと、どうなるか。
草が生える。虫が来る。一見すると「手入れされていない荒れ地」に見えるかもしれない。
でも地面の下では、まったく別のことが起きている。
草の根が、土の中を縦横に走り、細かな空気の通り道をつくる。微生物のコミュニティが形成され、水の流れが整い、土がじわじわと豊かになっていく。トラクターがやることを、草と微生物が何年もかけてやってくれる。
お陰様で5年経った今、土の状態は年々良くなってきている。
もともとこの圃場は空き地で、野菜作りには正直向かない土質だった。場所によってはチガヤやヨモギが物凄い勢いで繁茂し、目的とする作物が劣勢になって消えてしまうこともある。自然の力に脱帽するしかない瞬間だ。
それでも、その力を「敵」とは思っていない。
--樹木の力を借りる--
草だけでは、深い土層に届くのに時間がかかりすぎる。だから樹木の力も借りることにした。
木を植えると、根が地中深くまで伸びてアプローチしてくれる。そして木があると、木陰を作り強烈な真夏の太陽光線から野菜を守る。更に昆虫や鳥たちがやってくる。
樹木は葉や実を落とすことで、大地に栄養を与えてくれる。すぐには見えない変化でも、その積み重ねが土を育てる。時間はかかる。でも、仕組みさえ整えてしまえば、あとは自然が動いてくれる。それが樹木を植える理由だ。
--自然農の畑は、賑やかだ--
生命力が溢れんばかりで、生きとし生けるものが蠢いている。小さな世界に食物連鎖が成り立っていて、どの虫も草も、ただそこに「いる」理由がある。その賑やかさを、私は毎日面白いと思っている。
--うまくいかない日も、当たり前にある--
5年続けているけれど、まだまだわからないことだらけだ。
種取りまで育てられずに、種を絶やしてしまうこともある。種を蒔いても芽が出てくれないことなんて、毎度のこと。「ここぞ」というタイミングや塩梅が、まだ掴みきれずにいる。
でも、それでいいと思っている。
完璧な農業なんてない。自然相手に「思い通り」を求めると、必ずどこかで無理が出る。うまくいかない日も、自然が教えてくれている何かがある。その「教え」を受け取りながら、毎年少しずつ精度を上げていく。それが自然農の面白さでもある。
--なぜ自然農なのか——最強の自給農--
私が自然農を続ける理由は、はっきりしている。
自給農の中で「最強の農」だと考えているからだ。
使う道具はシンプルだ。鎌、スコップ、鍬。トラクターは使わない。機械に依存しない。燃料がなくても、電気がなくても、続けられる。
小さなエネルギーで、大きなエネルギーを持つ野菜ができる。
自然農の野菜は腐らないとも言われる。水分が抜けて干からびる形で枯れていく。細胞の密度が違うのだ。そして畑の中では、虫たちに全てを食い荒らされることもない。食物連鎖が圃場内で成り立っているから、ある程度のバランスが保たれる。
--日本版ダーチャとして--
今、日本の食料自給率は低下し続けている。
燃料の高騰、肥料の高騰、種子の利権支配、天候不順——現代農業が抱える問題は山積みだ。でも自然農は、それらをほとんど問題としない。
ロシアには「ダーチャ」という文化がある。市民が郊外に小さな菜園を持ち、自分たちで食料を育てる暮らし方だ。食料危機のときも、ダーチャがロシア国民の食を支えたと言われている。
自然農は、日本版ダーチャとして広がる可能性を持っていると思う。大きな農地も、高価な機械も、専門的な知識も、最初からなくていい。土と対話しながら、少しずつ育てていく。それが誰にでもできる、一番身近な食の自立だ。
--見えない世界を、読む--
自然農をやっていると、目に見えるものだけを追っていても答えは出ないとわかってくる。
表層の見える世界だけでなく、土中やミクロの見えない世界の影響を考えること。それが自然農の本質だと思っている。
圃場内に生えてくる雑草には、ひとつひとつ名前がついていて、役目があって生えてくる。カタバミが生えるのはなぜか。スギナが出てくるのはどういう土の状態のときか。ヨモギはなぜあそこに密集しているのか。チガヤが蔓延るのはなぜか。それを理解することで、土の声が聞こえてくる。
虫たちも同じだ。理由があって、彼らはそこに存在する。アブラムシが大量発生したとき、それは野菜が弱っているサインかもしれない。テントウムシがやってくるのを待てばいいのか、それとも別の問題があるのか。
雑草も虫も、「問題」ではなく「情報」なのだ。
だから私は今も、圃場に生える草の名前を調べ、虫の動きを観察し、ひよ里の土に合った野菜を探し求め続けている。土を耕さず、解釈を耕し続ける——それが自然農の日々だ。
--土を耕すことは、自分を耕すことでもある--
5年やってきて、一番変わったのは野菜よりも自分かもしれない。
急がなくなった。
結果をすぐに求めなくなった。
うまくいかなくても、また来年と思えるようになった。
土と向き合う時間は、余計なものを削ぎ落としてくれる。自然農の畑に立つと、「今何が必要か」だけを考えればいい。そのシンプルさが、心地いい。
--立ち止まる勇気--
いつの時代も、予測できないことは起きる。
コロナ、戦争、物価高騰、気候変動——次に何が来るか、一般大衆にはわからない。だからこそ今、地に足をつけて生きることが大切なのだと思う。
原点回帰。土を触り、植物を育て、風を感じ、虫の声を聞き、空に語りかける。
当たり前のことを忘れてしまいそうな時代に生きているからこそ、一度、立ち止まる勇気が必要なのかもしれない。
スマホを置いて、土を触る。それだけでいい。人間はもともと、そうやって生きてきた。その記憶は、まだ私たちの身体の中にある。
だからといって、時代の大きな流れは止められない。AIが普及し、社会は加速し、世界は変わり続ける。それを否定するつもりはない。
時代を否定するのではなく、その時代に沿った自分なりの解釈のもとに生きる。
土を触りながら、AIと対話する。しめ縄を編みながら、世界の動きを考える。自然農の畑に立ちながら、これからの食と暮らしを想う。一見バラバラに見えるこれらが、ひよ里ではひとつの線でつながっている。
それが「解釈を耕し、現実を育む」という言葉の意味だと思っている。
自然農園ひよ里は、これからも土と対話しながら、少しずつ、確実に、豊かな圃場を育てていきます。
*ひよ里(自然農園ひよ里・茨城県常陸太田市)*
*半農半X+α 里山暮らし実践中*

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