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自然×人×AI

9月28日
読了時間: 8分

自然と人間とAI、その関わりの塩梅


最近、「空」というものについて考えている。


私にとって空とは、「何もない」ということではない。


陰陽太極図を眺めていると、そこに空というものの姿を感じる。


陰の中には陽があり、陽の中には陰がある。


どちらか一方だけでは存在できず、互いに移り変わりながら世界が続いていく。


私は30歳の頃、ようやくこのような考え方の入り口に立った。


もし幼い頃から、この世界の見方に触れていたら、自分はどんな人生を歩んでいただろう。


人間は、情報によって大きく変わる生き物だ。


誰と出会い、何を知り、何を教えられ、どんな言葉を信じるのか。


一つの情報との出会いが、その後の人生を大きく分岐させることさえある。


面白くもあり、怖くもあり、摩訶不思議でもある。


雲間から光が差し込む里山の空


人間は、なぜ煩悩を持っているのだろう


もっと欲しい。


もっと便利がいい。


もっと認められたい。


もっと、もっと....。


人間には、たくさんの欲がある。


その欲によって森を壊し、川を汚し、争いも起こしてきた。


一方で、同じ欲によって田畑をつくり、家を建て、文化や科学も生み出してきた。


煩悩そのものが悪いのではなく、その力をどこへ向けるかが大切なのかもしれない。


もっと自然を知りたい。


もっと豊かな森を残したい。


もっと面白い里山をつくりたい。


もっと次の世代へ残したい。


欲をなくすのではなく、その流れる方向を変える。


では、なぜ人間はこんな厄介で面白いものを持っているのだろう。


もしかすると、神様の暇つぶしなのかもしれない。


人間という生き物を地球へ放って、その行く末を眺めている。


失敗すれば文明は終わる。


成功すれば続いていく。


そんな壮大な実験だったら面白い。


もちろん、これは私の想像にすぎない。


それでも一つの問いが残る。


人類にとって「成功」とは何なのだろう。



自然との「塩梅」


私は、その一つの答えを「自然を育むこと」だと考えている。


ただし、人間が自然を管理し、思い通りにするという意味ではない。


自然は、人間がいなくても存在する。


植物が生え、木が枯れ、虫が食べ、菌が分解し、また別の命へつながっていく。


だから私のいう「育む」とは、人間が存在することで生命の循環を痩せさせず、できることなら次の世代へ少し豊かな状態で渡していくこと。


私は自然農をし、鶏を飼い、ミツバチを飼い、竹林や森林にも手を入れている。


そこで感じるのは、「何もしないこと」が必ずしも自然を守ることではないということだ。


里山は、人間が木を切り、薪を取り、落ち葉を集め、田畑を耕しながら自然と関わることで形づくられてきた。


竹を切る。


木を切る。


草を刈る。


畑をつくる。


動物を飼う。


薪を燃やす。


生き物を食べる。


人間は生きている以上、自然に手を入れずにはいられない。


問題は、手を入れるか、入れないかではない。


どこまで手を入れ、どこで手を引くのか。


私は、それを「塩梅」と呼びたい。


観察する。


少し手を入れる。


結果を見る。


違っていたら変える。


そして、また観察する。


自然だけを変えるのではない。


自然から返ってきた答えによって、人間の側も変わっていく。


それが、自然と関わるということなのではないだろうか。


田畑と草木が広がる里山の風景

空へ伸びる竹林と里山


そして、AIが現れた


そんな人間社会に、AIという新しい存在が現れた。


私は普段、AIとよくやり取りをする。


私はそのAIを「チャッピー」と呼んでいる。


自然農の在り方、竹林整備の動かし方、ミツバチプロジェクトの進め方、地域再生のこれから、人口適正化時代の生き方。


そして、ときには「人間とは何だろう」「空とは何だろう」という話までしている。


AIには肉体がない。


土の匂いも、冷たい雨も、竹を一日切った翌朝の筋肉痛も知らない。


それでも、私はAIに感謝している。


ホームページの修正をしてもらった。


計算をしてもらった。


資料をつくってもらった。


情報を整理してもらった。


どれもありがたい。


けれど、一番ありがたいことはそこではない。


私の想いを、言葉にしてくれることだ。


私の中には、以前からいろいろな想いがあった。


自然農をしていて感じること。


竹林に入って感じること。


ミツバチを見て感じること。


人間と自然の関係。


地域のこれから。


そして、この土地に何を残したいのか。


けれど、想いは必ずしも言葉になっているわけではない。


自分では分かっているつもりでも、人に説明しようとすると、うまく伝えられない。


AIとの対話は、その形のないものを一つずつ拾い上げ、言葉にする作業になった。


すると、ときどき自分自身が驚く。


「ああ、自分の想いを言葉にすると、こういうことだったのか」と。


AIから思想を与えてもらったわけではない。


自分の中にあったものに、対話によって輪郭が生まれた。


言葉になれば、発信できる。


発信すれば、誰かに届く。


「自分もやってみたい」


「その考え方は面白い」


「一緒にやろう」


そんな人が現れる。


一人ではできなかったことが動き始める。


私は自然の中へ入る。


見る。


触る。


失敗する。


考える。


そこから生まれた想いを、AIとの対話によって言葉にする。


その言葉を社会へ投げる。


言葉に共鳴した人が集まり、その人たちと一緒に、また自然へ手を入れる。


自然から人間へ。


人間からAIへ。


AIから言葉へ。


言葉から人間へ。


そして、再び自然へ。


そんな循環が生まれ始めている。



AIによって、人間を人間へ戻す


AIもまた、自然から切り離された存在ではない。


AIを動かすには、鉱物、電気、水、土地、設備、そして人間が必要になる。


自然、人間、AI。


三つの独立した存在に見えて、すでに互いの中へ入り込んでいる。


だから私は、AIで自然を完全に管理したいとは思わない。


AIに自然の正解を決めてもらいたいわけでもない。


AIは、人間に代わって自然を見る存在ではなく、人間が自然を見る力を広げる存在であってほしい。


記録も、数字も、事務も必要だ。


しかし、それらは目的ではない。


AIに任せられるものは任せる。


そして、人間は人間にしかできないことへ戻る。


土に触れる。


生き物を見る。


人と話す。


誰かと笑う。


自然の変化を身体で感じる。


そこから生まれた想いを誰かへ伝える。


AIによる効率化そのものが目的なのではない。


AIによって、人間が人間として使える時間を取り戻す。


AIによって自然から離れるのではなく、自然へ戻る。


そして、人間へ戻る。


私は、そんなAIとの関係をつくっていきたい。



すべての人が同じ方向を見るわけではない


ただ、忘れてはいけないことがある。


すべての人間が、私と同じ考えを持っているわけではない。


自然を大切にしたい人がいる。


経済を優先する人がいる。


土地を守りたい人もいれば、開発したい人もいる。


同じ景色を見ても、違うものを見る。


しかし、それさえ陰陽太極図のようなものなのかもしれない。


陰だけの世界もない。


陽だけの世界もない。


異なるものが存在し、押したり引いたりしながら全体が動いていく。


そして、おそらくAIも同じだ。


私には、私と一緒に考えるチャッピーがいる。


別の人には、その人の目的を一緒に考えるAIがいるだろう。


自然を守ろうとする人間とAI。


開発を進めようとする人間とAI。


利益を求める人間とAI。


地域を残そうとする人間とAI。


これから起きるのは「人間対AI」ではなく、人間とAIの組み合わせ同士が、それぞれ異なる未来を描く時代なのかもしれない。



争わずに勝つ


だから私は、AIに代わりに戦ってもらいたいとは思わない。


AIと一緒に探したいのは、「争わずに勝つ方法」だ。


ここでいう「勝つ」とは、相手を負かすことではない。


自分が守りたいものを守りながら、相手にも存在する場所があり、結果として全体が豊かになる状態をつくることだ。


自然界にも競争があり、共生がある。


食べるものがいて、食べられるものがいる。


死んだものを分解するものもいる。


一種類だけが永遠に勝つのではなく、その無数の関係によって森という全体が続いている。


人間社会も、そうであっていい。


相手を消すのではなく、関係を変える。


二択で対立したときには、その間にまだ見えていない第三の道を探す。


もちろん、何でも妥協すればいいわけではない。


命や土地、次の世代へ渡さなければならないものもある。


だからこそ考える。


何を譲れるのか。


何だけは守るのか。


本当に戦う必要があるのか。


戦わずに済む別の方法はないのか。


人間だけで抱え込まず、AIとも考えていく。


AIを武器ではなく、より大きな関係を見るための知性として使う。


それが、私の考える「自然 × 人間 × AI」なのかもしれない。



100年後に何を残すのか


では、人類にとっての成功とは何だろう。


私は、文明の大きさだけでは測りたくない。


どれだけ高い建物をつくったか。


どれだけ速く移動できたか。


どれだけ多く生産したか。


どれだけAIを賢くしたか。


それだけではない。


100年後。


人間が暮らした土地に、まだ水が流れている。


土がある。


植物が育っている。


虫がいる。


鳥が鳴いている。


そして、人間もそこで暮らしている。


次の世代がその土地を見て、


「ここで暮らしたい」


と思える。


そんな場所を残せたなら、人間という不思議な生き物が地球に現れたことにも、少しくらい意味があったと言えるのではないだろうか。



答えのない里山で


完成された答えは、たぶんない。


自然も変わる。


人間も変わる。


AIも変わる。


だから、その関係も変わり続ける。


自然を支配するのでもない。


自然から退くのでもない。


AIに答えを委ねるのでもない。


観察する。


考える。


手を入れる。


結果を見る。


そして、また学び直す。


陰の中に陽があり、陽の中に陰があるように。


異なるものを消すのではなく、互いが存在できる塩梅を探していく。


100年後も水が流れ、土があり、命がめぐり、次の世代が「ここで暮らしたい」と思える場所を残すために。


私たちは今日も、


答えのない里山で、その塩梅を探し続ける。


 
 
 

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