我々が残すもの。
- 自然農園ひよ里

- 2月25日
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水は、50年前の雨かもしれない。
雨が降る。
けれどその雨は、もともと海の水だ。
海水は太陽の熱で蒸発する。そのとき塩や重金属などの不純物は海に残り、水蒸気はほぼ純水として空へ昇る。雲になり、やがて雨となって山へ降る。つまり雨は、自然が一度リセットした水だ。
山に降った雨は、すぐ川になるわけではない。腐葉土に染み込み、微生物に有機物を分解され、砂や礫の層をゆっくり通り抜ける。その過程で粘土鉱物が不純物を吸着し、岩と触れ合いながらカルシウムやマグネシウムなどのミネラルを溶かし込む。
水は急がない。
場所によっては、地下を数十年、時には50年以上かけて移動する。
そして、磨かれた水が湧水となって再び地上に現れる。私たちが「うまい」と感じる水は、時間が育てた味だ。
森は水の速度を調整し、急激な流出を防ぎ、地下へ送り込む装置だ。森が健全なら水は澄む。森が壊れれば濁流になる。
川は里山を潤し、都市を通り、やがて海へ戻る。海では栄養が循環し、生命が育つ。そして再び蒸発する。
循環は、静かだが確実だ。
今飲んでいる一杯の水は、50年前の雨かもしれない。
だからこそ、山を整えることは未来の水を仕込む行為だ。
それが里山環境の維持再生の本質だと思っている。




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